2011-02-16 第177回国会 参議院 政府開発援助等に関する特別委員会 第2号
この度ハイチには、最後まで努力をしましたが、諸事情によりまして入国することはできませんでしたが、当時コレラのミッションでハイチに入っておりました岡山に本部がありますAMDAの菅波代表にニューヨークで合流し、お話を伺うことができました。
この度ハイチには、最後まで努力をしましたが、諸事情によりまして入国することはできませんでしたが、当時コレラのミッションでハイチに入っておりました岡山に本部がありますAMDAの菅波代表にニューヨークで合流し、お話を伺うことができました。
しかし、現役の青年海外協力隊と協力すれば、OB等もちろん加えて一緒に協力すれば、隊員の持つ情報とネットワークを利用しもっと大きな貢献ができたとAMDAの菅波茂代表からお話を伺いました。 そこで、災害時など緊急事態に日本のNGOが青年海外協力隊員の協力を得て効果的な支援活動ができるような仕組みは考えられないでしょうか、お伺いしたいと思います。
先般の菅波さん、佐藤さんのお話は、大変興味深いものがありました。井の中のカワズという言葉がありますが、ある意味で、井戸を飛び出して外を見てきた人の話を聞く思いがいたしました。 そういう中で、国連の問題がクローズアップされておりましたが、たかが国連、されど国連、国連をないがしろにしてはいけないと思いますし、アメリカから見れば、時にたかが国連と見えるかもしれません。
先般のAMDAの菅波参考人の御意見、そしてきょうの金子さんの御意見、その限りにおいて、私はそれほど異とするつもりはないわけでありますが、ただ、従来から、この種の議論でお願いしたいのは、やはりそこにおいて欠けているといいましょうか、あるいはあえて棚上げにしようとしておる部分があるのではないかというふうに感じてならないわけであります。
○中川(昭)委員 本小委員会は、五月八日に会議を開き、参考人として、AMDAグループ代表・特定非営利活動法人AMDA理事長菅波茂君及び財団法人日本国際問題研究所理事長佐藤行雄君をお呼びし、安全保障及び国際協力の分野における国際機関と憲法をテーマとして御意見を聴取いたしました。
菅波参考人には、御苦労なお仕事をされていただいていることに心から敬意を表します。
○菅波参考人 大先輩が言われることで、結構でございます。
○中川小委員長 菅波参考人、よろしいですか。菅波参考人に差し上げた三十分の中で、二十分で終わられましたけれども、その十分を佐藤参考人に。
そこで、関口参考人は、この法案では客観的、科学的に自然再生に資する事業であるかについての保証がない、自然再生に逆行するようになっても歯止めの仕組みがないことが大きな問題と指摘をしておられますし、菅波参考人は、従来型の公益を見直して、自然環境の保全を上位に位置付けなければ意味がないというふうに言っておられるんですね。 私は、環境省に事業官庁になってほしくないんです。
自然再生推進法案の審査のため、本日の委員会にグラウンドワークおおたかの森トラスト代表足立圭子さん、日本湿地ネットワーク菅波完さん、財団法人日本生態系協会会長池谷奉文さん、第二東京弁護士会公害対策・環境保全委員会委員関口佳織さんを参考人として出席を求め、御意見を聴取することに御異議ございませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○高橋紀世子君 自然再生推進法案についての菅波さんの所属している日本湿地ネットワークの見解、そして関口さんの所属される第二東京弁護士会公害対策・環境保全委員会の見解を読ませていただきました。私が考えているのと、何か大変おこがましいんですけれども、共通点が多く、大変うれしく思いました。
これはAMDAの代表の菅波という人が常々言っていることでありますけれども、まずそういう専門的な人材養成機関の必要性ということを考える前に、基本的に日本のボランティア活動というものがどのような意義があるかということでございます。 まず第一に、これまで日本のボランティア活動というのは、どちらかというと経済発展をした国としてどうしてもしなければいけない、そういう義務感に基づいてやっておる。
それは、例えば、これは自民党の当時の理事をやっていました菅波さんがNOxを大気汚染の物質とすることについての見通しはいつごろと考えているか、こういう御質問をなさっていらっしゃいますよ。
───────────── 本日の会議に付した案件 議員菅波茂君逝去につき追悼演説の件 本日の本会議の議事等に関する件 ────◇─────
なお、菅波君に対する弔詞につきましては、お手元に配付いたしてあります弔詞を、理事各位の御了承を得まして、葬儀当日、議長から贈呈していただきましたので、御了承願います。 ───────────── 衆議院は 多年憲政のために尽力し さきに文教委員長の要職にあたられた議員正四位勲二等菅波茂君の長逝を哀悼し つつしんで弔詞をささげます ─────────────
まず、議員菅波茂君逝去の件についてでありますが、昨年十二月二十三日、福島県第三区選出議員菅波茂君が逝去されました。 ここに謹んで哀悼の意を表します。 菅波君に対する追悼演説は、本日の本会議において行うこととし、演説者は、日本社会党・護憲共同の上坂昇君にお願いいたしたいと存じますが、御異議ありませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○上坂昇君 ただいま議長から御報告のありましたとおり、本院議員菅波茂先生は、一年有半の闘病と御家族の手厚い看護のかいなく、昨年十二月二十三日、御入院中の菅波病院において逝去されました。まことに痛惜哀悼の念にたえません。 私は、ここに、議員各位の御同意を得て、議員一同を代表して、謹んで哀悼の言葉を申し上げたいと存じます。
昭和五十八年二月八日(火曜日) ───────────── 昭和五十八年二月八日 正午 本会議 ───────────── ○本日の会議に付した案件 上坂昇君の故議員菅波茂君に対する追悼演説 昭和五十七年度の水田利用再編奨励補助金についての所得税及び法人税の臨時特例に関する法律案(大蔵委員長提出) 午後零時四分開議
議員菅波茂君は、昨年十二月二十三日逝去せられました。まことに哀悼痛惜の至りにたえません。 同君に対する弔詞は、議長において去る一月二十三日贈呈いたしました。これを朗読いたします。
辞任 補欠選任 竹本 孫一君 和田 一仁君 同月十七日 辞任 補欠選任 和田 一仁君 竹本 孫一君 同日 辞任 補欠選任 竹本 孫一君 和田 一仁君 同月十八日 辞任 補欠選任 山口 敏夫君 楢崎弥之助君 同月二十三日 辞任 補欠選任 石田 博英君 菅波
理事 亀井 善之君 理事 戸井田三郎君 理事 渡辺 省一君 理事 新盛 辰雄君 理事 松沢 俊昭君 理事 武田 一夫君 理事 稲富 稜人君 上草 義輝君 太田 誠一君 川田 正則君 木村 守男君 岸田 文武君 北口 博君 北村 義和君 近藤 元次君 佐藤 隆君 志賀 節君 菅波
社会保険庁医療 保険部長 入江 慧君 委員外の出席者 議 員 金子 みつ君 参議院議員 遠藤 政夫君 社会労働委員会 調査室長 河村 次郎君 ――――――――――――― 委員の異動 五月十二日 辞任 補欠選任 金子 岩三君 丹羽 兵助君 白川 勝彦君 菅波
金課長 山口 剛彦君 農林水産省経済 局農業協同組合 課長 古賀 正浩君 農林水産委員会 調査室長 小沼 勇君 ――――――――――――― 委員の異動 五月十二日 辞任 補欠選任 太田 誠一君 麻生 太郎君 近藤 元次君 粟山 明君 菅波
英輔君 文部大臣官房調 査統計課長 上野 保之君 自治省財政局交 付税課長 紀内 隆宏君 文教委員会調査 室長 中嶋 米夫君 ————————————— 委員の異動 四月二十二日 辞任 補欠選任 臼井日出男君 森山 欽司君 浦野 烋興君 菅波
通商産業省通商 政策局国際経済 部通商協定官 香田 忠維君 通商産業省貿易 局輸出課長 伊藤 敬一君 農林水産委員会 調査室長 小沼 勇君 ————————————— 委員の異動 四月二十二日 辞任 補欠選任 木村 守男君 植竹 繁雄君 菅波
四月十五日 辞任 補欠選任 水田 稔君 日野 市朗君 渡辺 貢君 榊 利夫君 石原健太郎君 阿部 昭吾君 同日 辞任 補欠選任 日野 市朗君 水田 稔君 榊 利夫君 渡辺 貢君 阿部 昭吾君 石原健太郎君 同月二十日 辞任 補欠選任 天野 公義君 菅波
政策局経済協力 部経済協力課長 照山 正夫君 参 考 人 (国際協力事業 団理事) 有松 晃君 農林水産委員会 調査室長 小沼 勇君 ————————————— 委員の異動 四月二十日 辞任 補欠選任 太田 誠一君 古賀 誠君 菅波
委員外の出席者 北海道開発庁計 画官 宇山喜代人君 資源エネルギー 庁長官官房原子 力産業課長 田辺 俊彦君 環境委員会調査 室長 綿貫 敏行君 ————————————— 委員の異動 三月二十四日 辞任 補欠選任 天野 公義君 菅波
(日本糖化工業 会会長) 坂部 順一君 参 考 人 (日本ビート糖 業協会会長) 坂野 吉辰君 農林水産委員会 調査室長 小沼 勇君 ————————————— 委員の異動 三月二十四日 辞任 補欠選任 岸田 文武君 丹羽 雄哉君 菅波